安心している
とっても久しぶりに言葉があふれて、その気になったので、
ブログを書いてみようかなーと思って始めてみます。
ブログを再開してみようなんて自然に思えているのは
タイトルの通り 「安心」 がキーワード。
今、私はとても安心しているから。
安心させてくれる人
私の周りには私を安心させてくれる人がとてもたくさんいる。
それはパートナーであり、母たちであり、子供たちもそう。
家族は土台、私にとって大前提のよりどころである。
その家族を支える人たちも安心をくれる。
幼稚園や学校の先生たち。
小児科の先生。
かかりつけのホームドクター。
市の保健師さんや子育て支援のスタッフさん。
民生委員や児童委員や地域福祉、地域コミュニティで関わってくださる方々。
私が私らしくあるための人たちも。
体のメンテナンスをサポートしてくれる人。
日々の生き方や心のあり方のメンテナンスに伴走してもらっている方。
一緒に熱く語れる美容師さん。
先日利用したハウスクリーニングの方にも、私は安心をもらった。
快適に暮らすためにわざわざうちに来て手伝ってくれて、
アドバイスもくれる価値観の合う方がいるなんて、
常に机の上が学者のように山になってしまう私はたいそうほっとした。
忘れてはいけない存在は、たわいもないおしゃべりをしてくれて、
ピンチの時に最も頼りにしているママ友たち。
公園に行くのは、子供のため何か、自分のためなのか。
ときどき曖昧になるほど。
ママ友たちがくれる安心感は世界一だ。
安心してくれる人
安心について考えていたら、安心をくれる人の他に
「私を見て安心してくれる人」がいることに気がついた。
それは地元の人たちだったり、友達や先輩だったり、恩師たちであったり、
本当に安心してくれているかはわかんないけど、空の上のご先祖さまだったりする。
日常的に連絡を取り合えているわけではないけれど、
久しぶりに会ったときに「相変わらずだね」「佳子らしいねー」と
あきれながらも嬉しそうにしてくれる人たちである。
特に先生たちには、私はまあまあ手のかかる生徒だっただろうから、
地元を離れてそれなりにしっかり暮らして、3人の子供を育てるお母さんになっていることは、
喜んでもらえるばかりか、多少の安心や自信にもなるようである。
泣き虫でしょうがなかったあいつでも、こんなふうにお母さんになれているのだから、
今目の前で頑張っている生徒たちも大丈夫だろうと。
お天道様やご先祖様は、私が都合の良い時に思い出して
「おじいちゃんだったら、どうするかな」「あーちゃんだったら、なんていうかな」
「私はあの人に恥ずかしくないような生きようをしているだろうか」と勝手に考えて、
きっと大丈夫。と、これまた勝手に安心している。
そんなことで、前よりは穏やかに、地に足のついた頑張り方ができるいるのは、
いろんな人のおかげで「とても安心している」から。
へたっぴながら書いた家族の絵が案外お気に入りになったことを喜びながら、
そんなことを考えて満たされている。
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